T・E・ロレンスと、漱石の「こころ」
2007/10/27 Sat [Edit]
同人誌即売会から足が遠ざかる直前、「アラビアのロレンス」で知られるT・E・ロレンスに惚れて、彼を書きたいと思っていたことがある。
当時、新書館ウィングス文庫から刊行されている神坂智子氏著作のコミック「T・E・ロレンス」を読んで傾倒した。
傾倒した結果、当時、発売された「アラビアのロレンス 完全版」のDVDを視たいが為だけに、当時、まだ十分に高価といえるDVDデッキを購入したものだ。
傾倒するとなると、対象者あるいは対象物の全てを読んだり視たりしなければ気が治まらなくなるのは、正直、悪い癖だと思う。ただし、半世紀の間生きてきて、不思議と宗教には傾倒しなかった。
人間の所業には多大な好奇心と興味はあるが、それを崇め奉る気色は、どうにも違和感を覚えるからだ。
ところで、「アラビアのロレンス」こと、T・E・ロレンス。
神坂漫画から入って、映画を視て、取り合えず和書で手に入る関連本を読み漁って・・。
でも、この人は謎だった。
他者が「彼は人間カメレオンのようであった」と言い、ロレンス本人が「僕の頭は内乱状態」と言ったように、T・E・ロレンス本人が暗中模索の只中にいたせいかもしれない。
傾倒はしたものの、「書きたい」までは行かなかったのも、始めは雲を掴むような人だったからだ。
書き手としては酷く魅力的ではあるのだけれど、漠然として、どうにも捉えようがなかった人が、不意に形を成したのは、同人誌からだった。
当時、何故、それが目に入ったのか。
高等遊民発行の同人誌「夏目漱石入門」
正直、私は、夏目漱石が苦手だった。
小学校高学年時、読書感想の指定図書が漱石の「こころ」で、えらく負担だった。
以来、「漱石は嫌い」になった。
漫画世代の私には、「ベルバラ」や「マジンガーZ」に夢中でも、当時は、小説を読むことは苦痛でしかなく、まったく理解出来なかったし、おそらく、理解しようとも思っていなかったんだろう。
それが、何故か、高等遊民の「夏目漱石入門」他3冊を手にとってしまったんである。
『あなたは 腹の底から 真面目ですか?』
『私は死ぬ前に たった一人でいいから 他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか?』
齢30も半ばが、ギョッとして固まり、スペースに並べてあった漱石本同人誌を全部購入し、自宅の書棚から、すっかり古ぼけた岩波版「こころ」を引っ張り出し、読み耽った。
『仕方なく 私は死ぬ気で生きてみようと思いました』
「目から鱗」というより、「雷に打たれるような」。
ああ・・、そうか・・、と。
T・E・ロレンスというのは、そうなんだ、と。
これが、ロレンスという人が、私の中で人として確かな輪郭を持った瞬間であり、漱石という人の偉大さを痛感した瞬間でもあり、なんでもっと早くに、もっとちゃんと読まなかったのかと、自分の漱石嫌いを悔やんだ瞬間でもあった。
同時に、もしロレンスが、英語講師として日本に招聘されていたら(ロレンスは物書きの端くれでもあって、非公式ながら、実際、日本招聘の話はあったらしい)、そして、日本で漱石の「こころ」を読む機会があったら、ロレンスは絶対、漱石山房に入り浸っていただろうなぁ・・と、ロレンスには有り得なかった幸福に、私は寂しく微笑んでいたものだ。
残念ながら、その直後、即売会から足が遠のき、結局形にもならなかったロレンスは、頭の中で構想だけが踊っている。
もっとも、どんな構想を抱えていても、形にしなければ、形にしようと努力しなければ、所詮、絵に描いた餅。
そう。
どんな構想も、計画性を持って、努力して、形にしなければ、何の意味も持たないのです。
そして、努力というのは、計画性を持つ、ということなんだなぁと、計画性が全くなかった私は、痛感しております。
当時、新書館ウィングス文庫から刊行されている神坂智子氏著作のコミック「T・E・ロレンス」を読んで傾倒した。
傾倒した結果、当時、発売された「アラビアのロレンス 完全版」のDVDを視たいが為だけに、当時、まだ十分に高価といえるDVDデッキを購入したものだ。
傾倒するとなると、対象者あるいは対象物の全てを読んだり視たりしなければ気が治まらなくなるのは、正直、悪い癖だと思う。ただし、半世紀の間生きてきて、不思議と宗教には傾倒しなかった。
人間の所業には多大な好奇心と興味はあるが、それを崇め奉る気色は、どうにも違和感を覚えるからだ。
ところで、「アラビアのロレンス」こと、T・E・ロレンス。
神坂漫画から入って、映画を視て、取り合えず和書で手に入る関連本を読み漁って・・。
でも、この人は謎だった。
他者が「彼は人間カメレオンのようであった」と言い、ロレンス本人が「僕の頭は内乱状態」と言ったように、T・E・ロレンス本人が暗中模索の只中にいたせいかもしれない。
傾倒はしたものの、「書きたい」までは行かなかったのも、始めは雲を掴むような人だったからだ。
書き手としては酷く魅力的ではあるのだけれど、漠然として、どうにも捉えようがなかった人が、不意に形を成したのは、同人誌からだった。
当時、何故、それが目に入ったのか。
高等遊民発行の同人誌「夏目漱石入門」
正直、私は、夏目漱石が苦手だった。
小学校高学年時、読書感想の指定図書が漱石の「こころ」で、えらく負担だった。
以来、「漱石は嫌い」になった。
漫画世代の私には、「ベルバラ」や「マジンガーZ」に夢中でも、当時は、小説を読むことは苦痛でしかなく、まったく理解出来なかったし、おそらく、理解しようとも思っていなかったんだろう。
それが、何故か、高等遊民の「夏目漱石入門」他3冊を手にとってしまったんである。
『あなたは 腹の底から 真面目ですか?』
『私は死ぬ前に たった一人でいいから 他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか?』
齢30も半ばが、ギョッとして固まり、スペースに並べてあった漱石本同人誌を全部購入し、自宅の書棚から、すっかり古ぼけた岩波版「こころ」を引っ張り出し、読み耽った。
『仕方なく 私は死ぬ気で生きてみようと思いました』
「目から鱗」というより、「雷に打たれるような」。
ああ・・、そうか・・、と。
T・E・ロレンスというのは、そうなんだ、と。
これが、ロレンスという人が、私の中で人として確かな輪郭を持った瞬間であり、漱石という人の偉大さを痛感した瞬間でもあり、なんでもっと早くに、もっとちゃんと読まなかったのかと、自分の漱石嫌いを悔やんだ瞬間でもあった。
同時に、もしロレンスが、英語講師として日本に招聘されていたら(ロレンスは物書きの端くれでもあって、非公式ながら、実際、日本招聘の話はあったらしい)、そして、日本で漱石の「こころ」を読む機会があったら、ロレンスは絶対、漱石山房に入り浸っていただろうなぁ・・と、ロレンスには有り得なかった幸福に、私は寂しく微笑んでいたものだ。
残念ながら、その直後、即売会から足が遠のき、結局形にもならなかったロレンスは、頭の中で構想だけが踊っている。
もっとも、どんな構想を抱えていても、形にしなければ、形にしようと努力しなければ、所詮、絵に描いた餅。
そう。
どんな構想も、計画性を持って、努力して、形にしなければ、何の意味も持たないのです。
そして、努力というのは、計画性を持つ、ということなんだなぁと、計画性が全くなかった私は、痛感しております。

